子供の思考を深めるために言語が必要な理由

    子どもは、生まれてすぐに、 思考の仕方を知りません。 


 思考に行き着く前に、 感じる、知覚する経験をする。


 つまり、身体的感覚を使い、外界を知ろうとします。 


 そしてその後 身体的感覚性は、言葉の取得により、 「意識」となり、自己の内部にとどまり、 体系かされ、理解として、子供たちの中に蓄積されてゆきます。


 言葉により、感覚を意識に変えることができる。


 ここが私はもっと、大人が意識を払っていいところなのではないかと思うのです。 


 なぜ経験なのか。 なぜ語彙力なのか。 


 そこには、ちゃんと意味があって、「自ら思考する自由」を子供たちに与えるため。


 数学でも同じです。


 経験によって得る感覚知は、「数字や言語」といった言葉の記号に置き換えられることで 体系化され、より深い考察がされ、


「言葉で記す」ことによって、後世に残され、 


 次世代が「言葉」をもって、それをより素早く理解し、

理解をさらに深めることができる。 


 だからこそ、本が生み出される理由も 読書をする意味もある。


 なぜ、学ぶのか。 なぜ学びを提供するのか。


 それは、有限な生命の中で、他の動物とは違う「人間」という運命を 色々な意味で生き抜くためだと思います。



 コロナだけでなく、今、確実に、人間がつくりだしてきた世界に揺らぎが見え、 


 グローバルとナショナリズムが激しく入交じり、 政治や経済、環境、社会に変化が生じ、


「歴史」の一幕が終わり、始まろうとしている そんな感覚は、私たち大人の中でも抱いている方が多いのではないでしょうか。 



 歴史は止まりません。動き続けています。 


 その中で、私たちは、か弱いながらも、

思考を武器に、勇敢に生き延びていく必要があるわけです。 



今、後世を引き継ぐ子供たちに何が必要か。 



 先人としての私たちの経験と、 経験だけに縛られない、先見の目を鋭く光らせながら、 教育の提供の中身を精査してゆきたいものです。


 今でも、見えないところで、見えているところで、 


 思っている以上の世界は、社会は形を変えていっています。



 elsior.LLC 国語部門統括   きらり✨