未来は与えられるものではないし、求めるものでもない、切り開くことなんだ。

  

 日本人に生まれて 一番希望に満ちているのは、  

幼稚園。


 高校3年生になったときに、 「未来に夢や希望がある」 と言える人が、

二割ほどになる。


義務教育から高校に行けば行くほど、希望が下がるのは、 教育の失敗。 


 教育の基本というのは、 未来というものは自分の手でつくりあげるもので、 

 未来というものは自分たちが、明るく前向きに前進することで よくなるはずだということを

子供たちに伝えていくことが仕事。 

 ひふみ投信 藤野さんの言葉です。 

 今でこそ、いや、今になってもまだ、 お金の教育、資産の教育がなされていない日本ですが、

 資産運用にしろ、数学、語学、美術、科学、哲学にせよ、 

 教育は、本来、子供たちに「未来に対する希望」をもたせることだという意見に 激しく同意します。


 偏差値だけではない。 受験だけではない。 
 そんなこと、今の親たちは賢いから気づいているはずなんです。 


 でも、いまだに、学校教育も塾も、日本は、発展しているとはなかなか思えない。 


 なにか強固な固定概念に縛られ、変化をのぞんでいない。


 そして、悪いことに、今の環境や状況に文句だけを言ってしまっている 日本人が多すぎる。 


 文句だらけの大人を見れば、 子供たちだって、未来を描けない。 


 子供たちだって、いい訳や文句ばかりで、現実から逃げてしまいます。


 でも、世界が変われば、日本も変わります。 社会も変わります。 


 excelsiorの講師たちは、偏差値や学歴を否定しません。
 が、それがすべてだとは毛頭思っていません。 



 教育は、もっと柔軟で柔らかく、あたたかく、気持ちのよいものです。 


 生きるための糧になるものです。 そうであるべきです。


 その目線は今後も変わりません。 色々学びましょう。


 とことん好きなことをやりましょう。


 学びは、苦痛じゃない。 本来、学びは、のびやかで、どこまでも自由なもの。


 本来、人を自律させ、自由にする術なんです。


 子供たちが「生きていく」術を身につける。 


 常に私たちは、この視点をもち、 授業に臨んでいます。