国語のムラをなくしたい
文章によって、読める読めないムラがある このムラをなくしたい
これは、相談内容でもよく聞く話。
国語は文章によって成績に「ムラ」がでるということ。
まず、これは当たりまえのこと。
どれほど高い偏差値をたたき出す生徒でも、 どれほど優秀なビジネスパーソンでも、
読みにくい文章はある。
問題はそこで思考をとめるのではなく、まず、以下のことを 理解してほしい。
読める文章と読めない文章があることと、
国語の正答率にムラがでる
のとは
必ずしも同じベースでとらえることではない。
つまり、 読みにくい文章だからといって正答率が低くなるというのは、
必ずしもそうだとは言えないこと。
この世の中に存在する文章すべてを自分の「読みやすい」文章に変えるように読解力を鍛えようというのは、違う。
ここを目指すと国語はただただ苦しいだけのものになる。
読みづらい文章は必ずあるし、読みにくい文章を撲滅することなんて不可能。 ただし、
読みにくい文章が出題されても、得点をとるように読解力を鍛えることは可能である。
ここが大事。受験生は特に。
「何が書いてあるかいまいちわかりづらい」
↓
でも
↓
「問題へのアプローチはわかる」
これが、受験国語においては、大事なのだ。
そこを勘違いし、試験等で、出題文に読みづらさを感じたら、
「ああ、無理だ。解けない」と 即座にあきらめに走ってしまい、
結果、 解答欄の記述問題が白紙。
記号問題が、選択肢でそれっぼいものを選ぶ神頼み解答。
線引きなどの読んだ形式のない美しい本文。 のできあがり。
これでは、国語に「安定」は全く望めない。 読みづらくてもいい。
でも、物語文、説明文ともに読み方、捉えるべき点、「視点」がある。
この視点をおさえにかかる努力をすること。
そして、設問の意図を諦めずにくみ取り、 一抹の不安を抱えながらも視点がブレずに読んだ文章内容から、 解答を絞り出すこと。
この過程をたどることが肝心。
また、 マインドの面でも、 読みづらいからといって、あきらめなくていいことを知ることは非常に大事。 ここを知っている子は強い。
だからこそ、わからない文章を分かる!に変えることが、
国語の読解テクニックを学ぶよりも、もっともっと先におさえておかなければならないことです。
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