学ぶ前に身につけるべきもの

 子供たちを向き合うときに、 子供の中に潜む危うさ的なものを感じるときがあります。 


 思春期の一環といえば、そうかもしれない、という子もいますが、 

 物事を素直に受け止められない 

 いえ、受け止めようとせずに心と耳を閉ざし、 自分の世界にこもる 


 そして、「他責」で生きていること。



 学問のみならず、成長が見られない人に見られる特徴が、他責思考であること 


 自分の力で何かを得よう、変えようとしていないということ。


 だから、自分が望まない結果がでたら、他者のせい。 

 そして、自らそこを変えようという力を持たず、愚痴のみをためて生きていること。


 これでは、成長しません。


 私の生徒で、とても面白い話をしてくれた高校生がいます。 



 「僕は、小学2年生から高校3年生まで、ガチで野球をやっていました。 でも、まったく結果が出なかった。 今、振り返ると、当時の自分には、自ら工夫するっている力が足りなかったなと思うんです。 監督のいうとおりにやっていれば、なんとかなると思って真面目に 毎日あほほど時間を費やして頑張ってはいたけれど、 それだけでは結果なんかついてこなかった。 胸の中で、監督や、結果の出ている奴を罵るだけで、 自分は「頑張っている」と思いこみ、工夫をしなかった。 結局、自分の行動を他人の責任にして、自分は、他人の提示したもののうえにあぐらをかいていただけなんですよね。 いっこも幸せではなかったです。」 と。 




 まさに、自分で責任をとろうとする自責の思考と、工夫する力はリンクしていて、 

 工夫しようという試みは、自分の力で何かを変えてやろう、

 自分の人生を自分でつくりあげようというもの。



 結果はでれば、それは自分のおかげ。 出なければ、自分のミス。 そんなシンプルなことを、ずっとできずに、他責で生きていると 苦しいったらありゃしないんですよね。


 だからといって、自責をしろというわけではない。 

 自責をしたって意味はない。


工夫をするんです。 


 この「工夫する力」は、学問においても大事。 


 提示されたものを鵜呑みにして、指示に従うだけの勉強は、 思考せず、ある意味、楽なんですよ。


 でも、それでほしい結果が得られなかったからといって、他者の責任にするのは違う。 


 どう工夫すべきか、そこを怠った自分の責任。 


 この部分を、「学ぶ」子供たちにまずは、提示する必要があると私は思っています。


 学問も、人生も、自分次第。 自分の責任。 


 だから、面白いし、楽しいし、人生を謳歌できるのだ、と。 



 学ぶ前に整えておくべき、マインドです。